ついに発見しました!〜真のポジティブ、真のネガティブ
今までのポジティブとネガティブの定義は間違っていた
今までの一般的な定義だと、
「ポジティブ」=「前向きな言葉、思考、状態」
「ネガティブ」=「後ろ向きな言葉、思考、状態」
だったと思います。
まあ、「定義」というほど確固としたものではなくて、誰もが考える「イメージ」程度のものだと思います。
それに対して僕は、ポジティブとネガティブに関する、この定義・イメージが間違っていることを直観的に理解しました。
そして、改めて真の意味でのポジティブとネガティブの定義を理解しましたので、それを公開します。
この定義づけはあまり言っている人がいないと思うので、異論反論が出るかもしれませんが、ほぼ間違いないと僕は信じます。
ポジティブとネガティブの、真の定義とは
「ポジティブ」=「自分の本心に向き合っている状態」
「ネガティブ」=「自分の本心に向き合っていない状態」
です。
これだけです。
これがすべて、じつにシンプルです。
僕は従来の一般的なポジティブとネガティブの定義について、ずっと疑問を感じていたのですが、それを言語化できずにいました。
たとえば、前向きな言葉を発しているにも関わらず、めちゃくちゃネガティブな人がいたりする。
「ネガティブな言葉は不幸を引き寄せるから口にしないほうがいいよ」と言っている時の、ネガティブさに対する嫌悪に満ちた感じ。
心が傷ついてネガティブな気持ちに陥っている人を見て、「いつまでも落ち込んでたらダメだよ!」と励ましの声を掛ける人の、意外と余裕のない切迫の表情。
ポジティブが大事だと宣言する人たちの、ネガティブさに対しての異様なまでのネガティブさ。
また、それとは逆に、一見、後ろ向きな言葉を発していても、じつは全然嫌な感じを受けない人もいたりする。
自分が抱えてきた苦しみ、痛みを淡々と語る人の、純粋な悲しみが心を打つ不思議。
心が傷ついてネガティブな気持ちに陥っている人に、そっと寄り添って悲しみに共鳴している人の、寂しい穏やかさ。
ネガティブの場所に佇むことも、さほど厭わない人たちの、ネガティブに対しての不思議なまでのポジティブさ。
これは、これまでのポジティブ・ネガティブの定義では説明のつかない、人の持つパワフルなエネルギーです。
自分の本心に向き合っているからポジティブになる
前向きだからといって、本当に心からのポジティブなわけじゃない。
後ろ向きだからといって、救いがないようなネガティブなわけじゃない。
じゃあ、いったい何なのか? 何故なのか?
人にとってのポジティブとネガティブの、本当の意味するところは、どこにあるのか?
僕が悟ったこと、それが「自分の本心に向き合っているかどうか」だということでした。
自分の本心に向き合っている人は、前向きな言葉を発しようが、後ろ向きの言葉を発しようが、常にポジティブに向かっていくのです。
自分の本心に向き合っていない人が、前向きな言葉を発しようが、後ろ向きの言葉を発しようが、常にネガティブに向かっていくのです。
今までの自己啓発や成功哲学では、「前向きな感情を使うからポジティブになるのだ」と言っていました。
だから、僕は今ここで、それは違うと言い切ります。
「自分の本心に向き合っているからポジティブになる」のです。
ポジティブなはずなのに「不健全」な自分に悩む人たち
自己啓発や成功哲学の世界でも、自分の本心に向き合えないまま、前向きな言葉・感情を一生懸命に発している人たちがたくさんいます。
それでは、ポジティブの必要条件を満たしていない。
だから、本当の意味で、真のポジティブになれない。
そして、その人たちがさらに行うのは、さらにさらにもっともっと前向きな言葉や感情を発すること。
その、従来のポジティブの定義では、いつまでたっても「自分の本心に向き合っている」方向に向かわないから、その人たちはいつまでたっても
【ポジティブなはずなのに「不健全」な自分】
に悩むことになるわけです。
たとえば「NLPではポジティブになれないケースがある」と僕がずっと密かに感じていた理由がここにあったのだと、今、納得しています。
僕の今回の定義で言えば、この、自分の本心に向き合わないで前向きな言葉や感情を発し続けようとしている人たちこそ、真の意味で「ネガティブ」です。
そして、たとえ後ろ向きな言葉や感情を発して、そこに浸って佇んでしまう時間を過ごしてしまうとしても、自分の本心に向き合っていこうとしている限り、その人たちは限りなく真の意味での「ポジティブ」なのです。
もう一度、繰り返します。
ポジティブとネガティブの、真の定義とは、
「ポジティブ」=「自分の本心に向き合っている状態」
「ネガティブ」=「自分の本心に向き合っていない状態」
です。
これだけです。
それ以外は、嘘です。
楽しいことが、ポジティブなのではないです。
楽しいと本心で思っている自分が、ポジティブなのです。
悲しいことが、ネガティブではないのです。
悲しいと本心で思っているのに、我慢して誤魔化して笑っている自分が、ネガティブなのです。
今回、僕が宣言した定義によって、これまで一般にイメージされていた「ポジティブ」と「ネガティブ」の、すべての意味がひっくり返ります。
(私はネガティブな人間なんだ)と今まで思っていた人が、じつは自分の本心に向き合っていた、真のポジティブな人だった。
「私はいつもポジティブです」と公言してきた人が、じつは自分の本心に向き合えない、真のネガティブな人だった。
(…この、この、似非ポジティブ野郎っ!(笑)
ポジティブを目指すのではなく、自分の本心に向き合うことを目指せばいい
僕がここ数年、「生きづらさ」の克服をテーマに個人的に掲げてきて、ずーっとずーっと、ネガティブの意味、重要性について考え続けてきたことが、今やっと、こうして言葉にできました。
けっこう肩の荷が下りた気持ちです(笑)
このことを公開できただけで、僕のライフワークの3分の1ぐらいは終わったんじゃないかな、というぐらい。
きっとこれまでネガティブで苦しんできた多くの人が、自分の気持ちに気づくことで、救われていくことでしょう。
これからはポジティブを目指すのではなく、自分の本心に向き合うことを目指せばいいのだから。
思考でいえば「自己洞察」、感情でいえば「ありのままの自分」ということです。
じつはこれまで自分がネガティブだと思い込んでいた人ほど、自分と向き合うことを実践し続けてきた、強化トレーニング済みのツワモノのはずです(笑)
いろんな人を敵に回しかねない気もしますが(笑)、まあ、真実なのだから仕方ない。
さあ、これで真のポジティブと真のネガティブが、世の中に明示されました。
あなたは、ポジティブな人ですか? それとも、ネガティブな人ですか?
あるがままの自分を受け入れていいのだと感じました。マインドフルネスに通じるものがあるような気がします。