むしろ 「気遣いこそ残酷」な人

「真実は残酷だ」と言うけれど

日本人は物事の真実を明確化させない、
真実をなるべく伝えない風潮があります。

「空気を読む」という言葉は
「周りの雰囲気を察して配慮する」
という意味ですが、

これが日本人の美徳、スキルとして
求められている風潮です。

また、最近だと
「忖度」という言葉も流行りました。

【忖度(そんたく)】

他人の心をおしはかること。
また、おしはかって相手に配慮すること。

デジタル大辞泉より

多くの日本人には
「真実は残酷だ」
という意識があります。

「もし真実を知ることで
 相手が傷つくとするなら、

 本当のことを伝えるよりも
 真実を隠しておいたほうがいい。

 それが相手の為だ」

そういった考え方です。

真実を教えてもらわないと苦しい

シビアな現実の場合、
あえて真実を伝えないことが
「思いやり」「気遣い」
ということになったりします。

僕もよく、人の相談を
見聞きする場面に遭遇しますが、

「大丈夫だよ、なんとかなるよ!
 元気だしなよ!」

というアドバイスをしている人を
多く見かけます。

日本人は本当にこういう励ましが
本当に大好きですよね。

僕は傍から見ていて、

(いやー、このままじゃ
 たぶん大丈夫じゃないでしょ?)

と思ってしまう状況でも、

「大丈夫だよ、なんとかなるよ!
 元気だしなよ!」

と言っていたりしています。

つい僕が勝手に危機感を抱いたりして、

「いや、このままだとダメですよ。
 もっと現実を見たほうがいいですよ」

と率直に言っちゃったりします。

もちろん、率直に言うのは、
相手と時と場合を考慮してのことです。

けっこう理解できていない人が多いのですが、

あるタイプの人にとっては、

「真実を教えてもらわないと
 的確な判断ができない」

という傾向が存在しているのです。

 

気遣いだけが優しさではない

あるタイプの人というのは、

「現実的な判断ができる人」
 もしくは
「悲観的な現状にも動じない人」

です。

このようなタイプの人にとって
「気遣い」「配慮」「忖度」
といった周りの対応は、

よいことどころか、逆に、
現実を把握するのに
情報不足となり非常に困ります。



言い換えれば、

「空気が読めない人」なので
 真実を教えてもらわないと
 現状を判断できない人

なのです。

むしろ 「気遣いこそ残酷」の場合がある

じつは僕もこのタイプの人間でした。
というか、今でもそうです。

人間関係の駆け引きもよくわからず、
感情の機微もうまく理解できません。

空気を読むことや、雰囲気を察することが
非常に苦手なので、

真実を教えてもらえないと、
現実の把握、判断ができないのです。

(その代わり、
感情を排した論理的な判断や状況把握は
 比較的得意だったりします)

このタイプの人間にとっては、
「気遣いだけが優しさではない」
のです。

変に周りから気遣われて
真実を知らされないと、

空気を読めない、状況を察せないので、
現実に対応する術を失ってしまう
からです。

 

ある種の人間にとって、
「気遣いは優しさ」
ではありません。

むしろ、
「気遣いこそ残酷だ」という場合もある
のですね。

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