悩むことを前提に生きてみようぜ

現代人は「悩むこと」自体に苦しみすぎている

僕は悩み相談を受けることが多いですが、
悩んでいる人の話を聞いてみると、

じつは大半の人が、
直面している問題・状況自体に
困って苦しんでいるのではなくて、

・現状につまずいている自分
・悩んで迷っている自分
・問題を解決できずにいる自分

そういった
「自分自身の不甲斐ない状態」に苦しんでいる
ことがわかります。

その人の心の中にあるのは、

(こんなふうに悩んでいるなんて、
 私はダメな人間だ…)

という自責の念、罪悪感です。

自責の念であるので、
その苦しみを人にも話せない。

それはとっても孤独な心境であり、
つらい苦しみだと思います。

そのように自分を責めてしまう理由は、
「問題に対して正しい結論を出す」
 ことばかり教えてきた、
現代教育の結果にある
と、僕は勝手に思っています。

まるでテスト用紙を渡されて、
「速やかに正解を書きなさい」
と言われているかのように、

人生の課題に対峙してしまうと、
問題がすぐに解けないので
自分がダメな人間だと苦しんでしまう。
現代人は「悩むこと」自体に
苦しみすぎていると思うのです。

じつにもったいない、
本質的に意味のない苦しみ
だと思います。

ある野球監督は「負け試合」を決めていた(らしい)

僕は「人生は悩んでもいいよ」と
常々思っていて、それを口にしています。

かつて、ある不登校の親が言いました。

「子供と話をしたら、
『なんで生きているのかわからない』
と言ってました。
うちの子は、精神病なんでしょうか?

「え?
『なんで生きているのかわからない』
 って言うと、精神病なんですか?

失礼ですが、
 あなたは人生に悩んだことはないんですか?


人生は悩むのが当然なので、

もし「悩んじゃいけない」という
縛り、ルールが存在すると、
生きるのがすっごく苦しくなります。

 

日本のプロ野球では、年間144試合のうち、
優勝するチームの勝利数は80勝が目安
だそうです。

ある監督は、
(だったら64試合は負けてもいい)
ということで、
負けるための試合を計算していた
とか。

相手チームの主力(エース投手)が出る試合は、
「負け試合」として自分のチームの主力を温存。

その代わりに計算上の80勝の試合には、
全力でチームの主力を投入して勝つ。

そうやって、優勝するための
勝ち数を稼いだわけです。

だとすると、
その監督にとって
負け試合」に負けることは痛くない。

最初から
負ける前提で試合をしている
わけですから。

この考えを僕たちの人生にも
当てはめてみたらどうでしょう?

悩むことを前提に生きてみようぜ

今の「悩んじゃいけない」という風潮に逆らって、
僕はあえて、

「悩むことを前提に生きてみようぜ」

と訴えたいのです。

人生に悩みがあるのは当然で、
「100%、悩みなしで生きていけ」なんて、
不合理で非常識で能天気なバカの言うこと
です。

それは、プロ野球の監督で言えば、
「144試合、全部、勝て!」
というのと一緒で、
そんなの現実的に無理です。

負け試合をクレバーに計算できる
プロ野球の、ある監督のように、

僕たちも、人生の悩みがあることも
十分にクレバーに計算に入れましょう。


 
悩んでいても、迷っていて、
困っていて、苦労していても、

だからって、
そのことを
自分で責める必要はありません。

人生は悩むのが当然であり、
苦労するのが当然なのだから。

僕たちの人生は、悩むことを前提に、
大いに悩んで迷って、生きましょう♪

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